ラバーズの公演に出なかった理由
「引退」がトレンドの季節ですね。
自分はタプラバの殆どの公演には出ず、定演早稲祭文芸祭はでてな
自分はずっとタップしつづけるつもりだったし、引退なんてどうで
4年の残単35くらいあったのにほぼ毎日学館行って、就活もして
(ここら辺の「無敵時代」についてはあまりにも過激すぎてWeb
そんな感じで前回の続き
1年生の夏ごろに中大タップをやめて、その後モンモンとしながら
2、3ヶ月ぐらいサークルニートをして過ごす日々。
チャリンコにはまってたので自転車サークルに入る未来とか存在し
けっこう心揺れたのが、大学からもそこまで遠くない首都大のジャ
他大サークルに行くという選択肢が生まれた瞬間でした。
首都大ジャグラーのみなさんめっちゃいい人だし、女の子もミスコ
何より昔から入りたかったジャグサーなのに結局タップやりたくて
今やりたいことに突き進んでた当時の自分カッケー
前回の記事の通り、自分にとってサークルは軽いものではなかった
変えるということが非常に怖かったですが、転サーを決意
そうして10月末ごろ、早稲田タップラバーズの門を叩きました。
金髪のけいすけを連れて・・・笑
タップラバーズに入って、それはそれは色々とカルチャーショック
先輩が主体で基礎練をやってたり、
このひと人に教えられるほどタップうまいのかよ!とか
後ろの方のひとなんかちょっとテキトーに練習してたり、
えーそんなんでいいのかよ!みたいな。
そう!それでよかったのです。
やりたい人はバンバンやってほどほどの人はほどほどにやってれば
タップラバーズのみなさんは本当に暖かく自分を迎え入れてくださ
3年生の6期も非常に気を使っていただき、
トレンチさんトントンさんヤタさんヒロキさんはマジリスペクト。
覚えている限りはじめて話しかけてくれたのはみちゃきとエリカ
みちゃきはもうすぐ一児の母。時が経つのは早い。
エリカはこないだ有楽町でマック食ってるところに遭遇した。これ
これは同じ年のクリパの某3人。今年の定演に出るから探してみよう!
ただどうしても受け入れられない部分がありました。
振付です。
ちょうどサークルは定演の練習を加速させていた時期で
新顔の自分とけいすけにも1年生振りにでないかとお声がけをいた
まぁ、セオリー通りならこういった公演に向けて心を一つにしてい
練習に参加したんですが・・・・
正直、中大タップにいたころに目指していたレベルのものとはあま
こんなんタップじゃねえよ!!!って気持ちで一気にこのサークル
いわゆる一年生の振り付けで、ハッピーそうな曲でわちゃわちゃ踊
中大タップは踊る振り付けはいくつか固定されていて、
上達すれば上のランクの振り付けを踊る権利が与えらる感じでした
自分もいつかあの振り付けを踊りたい!そんなモチベーションがあ
タップラバーズは公演ごとに振付者・振付が変わるし
踊る側はどんな振付を踊るのかコントロールがしにくいです。
今後、どんな人のどんな振付を踊ることになるのかわからない不安
極めつけは定演2部の存在。
劇!!!!!!バカか!!!!!その労力をタップに注力しろ!!
1部も全然音合ってないじゃん!!!!これなら中大戻ったほうが
そんな気持ち。
中大が良くも悪くもタップ宗教なサークルだったので、ギャップに
けいすけをインフォメ前に呼んで、
「おれタップラバーズ無理かもしんねえ・・・・」って漏らしたの
転機は・・・
公演にでないという選択肢の存在を知ったこと。
さすがタップラバーズさんって思いました。
もともと自分のタップダンスへの興味はミュージカルや舞台みたい
大道芸のパフォーマンスの一種からというかインプロよりの個人の
練習場所はあればそれでよかったです。
こうしてぼくはタップラバーズの3大公演は現役時代に一度も出な
(一部外部公演には出たりしましたが)
OBになって何年越しか初めて定演にでました。時間かかりました
その後は・・・
正規練のときはB108(だっけ?)の扉開けた正方形のスペース
自分にとって非常にラッキーだったのは、OBのアラタさんが頻繁
ひとりの自分につきっきりで色々
そんな感じでアブノーマルな自分の存在が出来上がっていきまして・・・
ちょうど7年前のこの季節の出来事でしたとさ。