ラバーズの公演に出なかった理由

「引退」がトレンドの季節ですね。
自分はタプラバの殆どの公演には出ず、定演早稲祭文芸祭はでてなかったです。
自分はずっとタップしつづけるつもりだったし、引退なんてどうでもよく、代交代しても4年生になっても学館使いまくってました。茶谷ごめん

4年の残単35くらいあったのにほぼ毎日学館行って、就活もして、バイトもしてた俺はなんだったのだろうか。
(ここら辺の「無敵時代」についてはあまりにも過激すぎてWeb上に載せられないので詳細気になる人は会った時に聞いてください。)


そんな感じで前回の続き

arei7722.hatenablog.com




1年生の夏ごろに中大タップをやめて、その後モンモンとしながら
2、3ヶ月ぐらいサークルニートをして過ごす日々。
チャリンコにはまってたので自転車サークルに入る未来とか存在してました。ワラ
けっこう心揺れたのが、大学からもそこまで遠くない首都大のジャグリングサークルに見学行ったこと!
他大サークルに行くという選択肢が生まれた瞬間でした。

首都大ジャグラーのみなさんめっちゃいい人だし、女の子もミスコンでるような美人いたし
何より昔から入りたかったジャグサーなのに結局タップやりたくて入らなかったという。
今やりたいことに突き進んでた当時の自分カッケー

前回の記事の通り、自分にとってサークルは軽いものではなかったので
変えるということが非常に怖かったですが、転サーを決意
そうして10月末ごろ、早稲田タップラバーズの門を叩きました。
金髪のけいすけを連れて・・・笑

タップラバーズに入って、それはそれは色々とカルチャーショックでした。

先輩が主体で基礎練をやってたり、
このひと人に教えられるほどタップうまいのかよ!とか
後ろの方のひとなんかちょっとテキトーに練習してたり、
えーそんなんでいいのかよ!みたいな。

そう!それでよかったのです。
やりたい人はバンバンやってほどほどの人はほどほどにやってればいいということに気づくのに少し時間かかりました。

タップラバーズのみなさんは本当に暖かく自分を迎え入れてくださり・・。
3年生の6期も非常に気を使っていただき、
トレンチさんトントンさんヤタさんヒロキさんはマジリスペクト。

覚えている限りはじめて話しかけてくれたのはみちゃきとエリカ
みちゃきはもうすぐ一児の母。時が経つのは早い。
エリカはこないだ有楽町でマック食ってるところに遭遇した。これはどうでもいい話。

 

 

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これは同じ年のクリパの某3人。今年の定演に出るから探してみよう!





ただどうしても受け入れられない部分がありました。
振付です。


ちょうどサークルは定演の練習を加速させていた時期で
新顔の自分とけいすけにも1年生振りにでないかとお声がけをいただきました。

まぁ、セオリー通りならこういった公演に向けて心を一つにしていくものだと
練習に参加したんですが・・・・
正直、中大タップにいたころに目指していたレベルのものとはあまりにも違うものというか、
こんなんタップじゃねえよ!!!って気持ちで一気にこのサークルに対する気持ちが薄まりました。
いわゆる一年生の振り付けで、ハッピーそうな曲でわちゃわちゃ踊る感じね。

中大タップは踊る振り付けはいくつか固定されていて、
上達すれば上のランクの振り付けを踊る権利が与えらる感じでした
自分もいつかあの振り付けを踊りたい!そんなモチベーションがあったと思います。

タップラバーズは公演ごとに振付者・振付が変わるし
踊る側はどんな振付を踊るのかコントロールがしにくいです。

今後、どんな人のどんな振付を踊ることになるのかわからない不安感。

極めつけは定演2部の存在。
劇!!!!!!バカか!!!!!その労力をタップに注力しろ!!!!!
1部も全然音合ってないじゃん!!!!これなら中大戻ったほうがマシかも!!!!

そんな気持ち。
中大が良くも悪くもタップ宗教なサークルだったので、ギャップにやられました。
けいすけをインフォメ前に呼んで、
「おれタップラバーズ無理かもしんねえ・・・・」って漏らしたの覚えてます。


転機は・・・
公演にでないという選択肢の存在を知ったこと。
さすがタップラバーズさんって思いました。

もともと自分のタップダンスへの興味はミュージカルや舞台みたいなものからではなく
大道芸のパフォーマンスの一種からというかインプロよりの個人の技量をどんどんあげれればそれでいいような感じだったので公演にでない点について負の感情はなかったです。
練習場所はあればそれでよかったです。

こうしてぼくはタップラバーズの3大公演は現役時代に一度も出なかったです。
(一部外部公演には出たりしましたが)

OBになって何年越しか初めて定演にでました。時間かかりましたねぇ。


その後は・・・
正規練のときはB108(だっけ?)の扉開けた正方形のスペースでずっと練習してました。
自分にとって非常にラッキーだったのは、OBのアラタさんが頻繁に練習に遊びに来てくださって、

ひとりの自分につきっきりで色々なステップを教えてくれたことです。

そんな感じでアブノーマルな自分の存在が出来上がっていきまして・・・

 


ちょうど7年前のこの季節の出来事でしたとさ。